ポストーチ:第6夜、香雲の花にてアーリク先生とミロさんとファルさんと。
看病をする話。
「た、た、大変だ!センセ、すぐ来てくれ!」
ミロがそう血相を変えて部屋に飛び込んできたのは少し前のこととなる。
ミロに言われながら部屋へと駆けるとそこにはアーリクがぐったりとした様子で倒れていた。
ポストーチは急な事態に泣きそうになる思考をぐっと抑えながら、おろおろとするミロに指示を与えた。
そしてどうにかこうにかアーリクをきちんと寝台に寝かし今に至る。
確かに最近具合が悪そうではあった。
元々血色のよくない彼であったが、最近はもっとだった。
それでも最悪の事態になる前に対処をするだろうと思っていた。
だって、お医者さんなのだから。
医者とて不死なわけではない。
それは分かっているが、どこかで大丈夫だろうと思っていた。
「アーリク先生……」
水に濡らした布で彼の口元についた血を拭う。
わりと吐血をしたらしく、口元だけでなく首元や衣服にも血が見える。
じわり
涙が出そうになる気持ちを振り払おうとぶんぶんと頭を振った。
ふき取った血液を見る。
その色は鮮やかな赤ではなく、どす黒くかすんだ色をしていた。
最近の見たところの体調と、ミロに聞いたアーリクの様子、それと今の様子を照らし合わせる。
いま、隊商は一時解散状態となっていて慌しく、すぐに連絡のつく医者がいなかった。
…自分以外は。
だから、ちゃんと診察しなければならない。
点と点を結び合わせるように、状況を整理する…
…しようと、する。
「……う…」
じわり
視界がぼやける。
また気持ちを振り払おうと頭をぶんぶんと振るが、今度は涙がぽとぽととこぼれるばかりで一向に引っ込んでくれはしなかった。
あぁ、どうしよう。
冷静にならなきゃいけないのに。
今度こそ、ちゃんとやらなきゃいけないのに。
アーリクを寝台に寝かせたあと、部屋を出たミロは落ち着かない様子で少しうろうろと周回し、最終的にはファルシードの前に座った。
そんな様子のミロとミロが出てきた部屋を一瞥すると、ファルシードは少し困った表情を浮かべながら誰にともなく呟く。
「心配だねー……」
「あー…、まさか倒れるとはなー」
呟きに応えるミロに、ファルシードは口元を袖で隠しながら言う。
「んー、それもだけど……泣いてなきゃいいけど」
「あ?それって、センセのこと……」
ばたん
ミロが言いかける途中で部屋からポストーチが出てきた。
こんなに早く部屋から出てくるとは思っていなかったミロは少し驚きながらポストーチに話しかけた。
「あ、アーリクの様子は?!」
「……ミロくん」
「ん?……」
アーリクの容態を問いかけたミロは、その問いかけに対する返答ではなく自分の名前を呼ばれたことにまた少し驚く。
焦りながら話しかけたが、よくよく見ると彼女の雰囲気がなんだかいつもと違うような気がして思わず動きが止まる。
ミロの問いかけを無視したまま、ポストーチが続けた。
「ミロくん、私を力いっぱい殴って」
「はぁ?!」
思ってもみない言葉を言われ、ミロは思わずすっとんきょうな声をあげた。
このセンセを殴る?
この俺が?
「お願い、ミロくん…」
じぃっと真剣な瞳で見上げられる。
話が全然見えてこないが切実な願いらしく、いつものふわふわとした彼女の雰囲気がかけらも見当たらなかった。
だがやはり、いっぱしの護衛…ましては腕は立つほうであるミロはこの願いをすんなりと受けられない。
受け入れてしまってはまたひとり怪我人を増やすことになってしまう。
だが真剣な眼差しを自分では断ることが出来ず、ミロはファルシードに視線を投げかけた。
”どうにかしてくれ”
こちらも切実に目で訴えかけてみる。
しかし、ファルシードはいつもの表情のまま、その視線の意図を理解した上で視線を外した。
「…っ!」
まさかファルシードがノータッチでくるとは思ってなかったミロは絶句した。
こんなところで孤立無援を体験することになろうとは思ってもみなかった。
「ミロくん…!」
「う…っ」
視線をポストーチに戻すと、相変らず真剣な眼差しでこちらを見ていてミロはどうすることも出来なくなった。
ええい、ままよ…!
決心したように少しだけ手をふりあげる。
彼女の願いに反することになるが、なるべく力は入れず。
ぺしん
乾いた音が小さく響く。ミロの大きな手がポストーチの頬を叩いた。
わずかな間だったが、えらくスローモーションに時が過ぎたような気がした。
「……っ」
しまった、強く叩き過ぎたか…?そう恐る恐るポストーチの顔を見ると、彼女はきっとミロをにらみつけた。
「なんで手加減するのっ!!」
ミロは彼女がこのように声を荒げるのを初めて聞いた気がした。
ファルシードは少し離れたところで相変らずの様子で二人を眺めていた。
「〜〜〜〜っ!!」
「あっ、センセ……」
まだ何か言いたいことがある様子のポストーチだったが、埒があかないと判断したのかミロの前からつかつかと歩き出した。
一度止まって振り返りファルシードの方を見たが、すぐにまた歩き出した。
壁の前でぴたりと止まる。
宿の壁はところどころに石が埋まり、ごつごつとした肌触りであった。
確認するように壁をぺたぺたとさわりながら位置を定めると、ポストーチは大きく息を吸い込んだ。
「あ、おい、まさか……っ」
ミロが制止しようと手をのばすが、それも届かず、
ゴスッッ
ポストーチはものすごい勢いで壁に自らの額を、これまたものすごい音をたてながらうちつけた。
「う…あう…」
ぶつけた反動と衝撃で数歩ふらりふらりとうしろへ歩くと、額を抱えてうずくまった。
額をかかえる手の隙間から、鮮血がぽたぽたと床に垂れる。
思った以上のものすごい音にフリーズしていたミロが、その様子を見てはっとしたようにポストーチにかけよった。
「せ、センセ、大丈夫か…?!」
ミロが話しかけてもポストーチは返事をすることはなく、ただ鮮血が零れ落ちるだけだった。
「……」
しばらく微動だにしなかったが、ポストーチは突然額から手をはずすとじっと床に落ちた鮮血を眺めた。
うった額はずきずきと痛むけれど、落ちた鮮血はそこにあり、
落ちた鮮血はそこにあるけれど、うった額はまだずきずきと痛んだ。
血の気が引いたのか、すぅっと頭の中が整理されていくように感じた。
大丈夫、大丈夫。
私はまだ頑張れる。
患者がいるのであれば、医者として頑張れる。
頑張らなくちゃいけない。
ぐいっと額から頬まで垂れてきていた血を拭う。
思ったよりも傷口は広いようだが、そのうち治るだろう。
さて、それよりも今は。
立ち上がりくるりときびすを返すと、目の前に心配した面持ちのミロが目の前に立っていた。
にこりと笑いかける。
「大丈夫、アーリク先生のことはちゃんと先生が治すからね!」
「え、あ…あ、あぁ……」
呆然としたミロの横を通り過ぎ、またアーリクの眠る部屋に行こうと歩き出した。
すると、ずっと傍観を決め込んでいたファルシードがすっとポストーチの前に歩み出た。
きょとんとした顔でファルシードを見上げると、ファルシードはいつもと変わらずにこりとした。
「お医者さんが患者さんのとこに行くのに血なんか出てたらだめでしょう?」
まだ血の残るポストーチの額と頬を、ファルシードは持っていた布で優しく撫でて血を拭う。
さらにどこからか取り出した包帯でくるりくるりと器用に額の傷口を巻いた。
途中包帯を巻くのに邪魔になる彼女の大切にしている蓮の花飾りを、髪から外して彼女に手渡しながら。
一連の動作をポストーチは何も言わずにじいっと見つめた。
「はい、完成」
器用に素早く包帯を巻き上げたファルシードは最後にぽんっとポストーチの頭をひと撫でし、
「いってらっしゃい」
そう微笑みかけた。
「うん、ありがとう」
巻かれた包帯を確認するように触るとポストーチは笑顔でそう返し、足早に部屋へ入っていった。
花飾りを手元に置きながら、改めて病床のアーリクを見る。
先ほどと変わらず顔色の悪いアーリクの首元に手を当て、心拍数を確認する。
次に胸部から腹部にかけての触診をし、反応を見る。
最近の見たところの体調と、ミロに聞いたアーリクの様子、それと今の様子。
点と点を繋ぎあわせるように、状況を改めて整理する。
それらを繋げる一筋の線は……
「…っ!えぇと…確か…確か殻を砕いたのが……」
ごそごそとミロに先ほど持ってきてもらったカバンをさぐる。
まず胃酸を中和して、粘液とのバランスを保つこと…それからそれから……。
大丈夫、大丈夫。
これはちゃんとした治療をちゃんとすれば治る病気。
まだまだアーリク先生には教わりたいこと、たくさんあるんだ。
ちゃんと治療して、私がやればできるってとこ見せなくちゃいけない。
だから大丈夫。
はやく、治してみせますから。
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ミロさん、ファルシードさん、あとアーリク先生お借りしました。
看病する話というより、看病に決起する話に近いですね。ナンテコッタイ。
ちらほらするフラッシュバックを頭突きで乗り切るという…
なんて男らしいのでしょう(笑)
可哀相大賞:ミロさん
振り回してごめんね^^
ちなみにアーリク先生はいわゆる、出血性胃潰瘍ですって。
胃酸抑えて安静にしてればきっと大丈夫なはずです。
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