ヒィ:某日の天幕のあとで。人との交流不足。


理論と現実のジレンマの話。



船酔いの理論は分かった。
船酔いは、乗り物酔いの一種で、乗り物が起こす振動が原因となってて、
内耳に過度の加速度刺激の反復が与えられると体のバランスが取れなくなって起こるもの。
そのため、医学的には動揺病、加速度病との名がある。
加速度刺激は常に一定であれば、酔いは起こらない。
一定の揺れの中に異なる間隔の揺れが混じることで酔いが生じる。
つまり、船の揺れの起こる方に頭をゆっくり傾けることで内耳への刺激を弱める。
これが物理的な対策方法。

それは、分かってるんだ。
でも、上手くいかない。



 ふわっ ふわっ

一定の間隔で刻まれる浮遊感。
砂船の不快感のある揺れとは異なり、一定の間隔で刻まれる揺れは体に心地良い。
でも俺は、町を出て、砂船に乗っていたはずで、そのことからこの心地良い揺れは起こるはずがない。
では、一体俺はどこにいるのか…

ゆっくりと閉じていた目を開く。
視界は全面きれいな青で支配された。ところどころに、綿をちぎったような白い塊が浮いている。

「…そ、ら…?」

「お、気付いたか!」

目の前の情景の名称をそのまま口に出すと、言葉が返ってきた。
この声は、ラダルジャ。
俺の火のルフ。

ごつごつとした赤いうろこ。
よくよく気付くと、空を飛ぶラダルジャの上に乗っていた。
俺を背中に乗せるラダルジャは、いつのも手のひらより少し大きいほどのトカゲのような姿ではなく、二メートル超の形容するのであれば竜のような姿。

「お前、船酔いで気ぃ失ったから、気分覚ましに空飛んでんだ」

ぷかぷかと煙草の煙を出しながら、一定の間隔で飛ぶラダルジャが言う。
あぁ、そうだ。俺は翠の天幕から帰る途中で、それで、きっと気を失ったんだな。

「気分は良くなったか?」
「ん…」
俺が歯切れ悪く答えると、ラダルジャはため息をつきながら長く煙草の煙を吐き出した。
「…まぁ、船酔いの上、てめぇの容量外な対応したんだ。疲れたんだろ?」
容量外な対応。
ヤスミンさんだっけ…ヒルデさんの護衛とかいう人が、突然出て行っちゃったり、なんか俺に頼むとか言ったり…。でもヒルデさんとお茶をくれた女の人はにこにこしてて…
そう、あんなこと初めてで、どうしていいのかよくわからなかった。
「…ふたりは、なかなおりできたのかな…」
何か喧嘩していたようだった、気がするけど…大丈夫なのだろうか。俺のせいだったら悪いことをしたな…でも、俺何かしたっけ…
「あ?仲直りもなにも、まず仲たがいしてねーだろ?」
ラダルジャが言う。

あぁ、それが尚更わからない…

「あの茶の女…ティスアだったか?も言ってただろ?信頼関係ってやつだ」
ぷかぷかと煙草をふかす。煙草の煙は、進行方向とは反対の方向に一直線に飛んでいった。

「…信頼って言葉は知ってるよ…
 でも、わかんない…」
あの女の人にも言ったように、同じに答える。
口に出してみると思ったよりふて腐れたような言い方のなったのが、ちょっと恥ずかしかった。
でも、わからない。ラダルジャの言うことも、あの女の人の言うことも、ヒルデさんがなんで平気なのかも、あの人は怒りながらもなんでヒルデさんを心配するのかも。

ラダルジャはもう一度煙を吐き出すと、一呼吸置いて答えた。
「ま、そのうち分かるようになんだろ」
煙はまたも、進行方向とは逆に流れ、決して空に浮かぶ雲に同化することなく消えていく。
「てめぇもそのうち、信頼できる仲間が出来んだろ」
俺らルフとは別にヒトの、な…そう言葉を続ける俺の火のルフ。
「…でも…でも…」
何か言おうとして、言葉を紡ごうとするけど、それ以上に言いたいことは紡げなかった。
「ま、焦んなや」
ラダルジャはひときわ大きく羽を動かした。眼下に見える砂船が小さくなった。

「お前が町を出るっつったのは、ただの逃げだと思ったが…思ったより良い風にはたらくのかもな」
ラダルジャが少し笑いながら言う。

なんで、笑うの。

「…わかんない…」

ラダルジャのうろこに頬を寄せる。
火のルフなのに、思ったよりもひんやりとしていて冷たくて、気持ちよかった。



ヒルデさんとティスアさんとヤスミンさんを名前のみお借りですよ。




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